黃匡中先生インタビュー日本語訳


2019年のものです。






〔黄師父〕

多くの初心者は英雄的な行動を望みます。

しかし皆が実際に町で戦いたいというわけではありません。それにもかかわらず(詠春拳が)一般の人々との接点があることはとても興味深いです。

長い間功夫の訓練を受ける人々は、より穏やかな人々になります。彼らは容易には争いません。


これは旅です。多くの武術家は、自分は闘えるという自覚のないことを知るところから学び始めます。ゆっくりと、より多くのものを学んで、自分自身の欠点を発見していきます。




〔アナウンス〕

詠春は、中国南部の主要な功夫の一派です。葉問はこれを世界に広めました。彼は香港でVing Tsun Athletic Association(詠春体育会)を設立しました。葉問から第二世代の黄匡中(ウォンホンチュン/John Wong)は詠春の精神を伝え続けます。




〔黄師父〕

ここは詠春体育会です。

ここは葉問宗師が最後に教えていた場所で、常設の協会です。今見ているこの景色は50年前とほとんど変わっていません。


いくつか追加物があり、この銅像は6~7年前に置かれました。ここが葉問先生の場所であることを記念して、皆で(これを置くことを)決めました。この銅像はこの場所と彼の記憶を象徴しています。台には詠春の教訓が記されています。


この協会ではまだ多くの長老が教室を持っています。その多くは葉問の直弟子で、葉問の二人の子息もここで教えています。私たちは後の世代で、私は葉問の孫弟子です。


この協会は、全ての葉問の弟子たちが集い、彼の教えを学び続けるための重要な場所です。




〔アナウンス〕

黄師父の父親は「葉問2」で黃曉明が演じたキャラクターのモデルです。彼が葉問の生徒になるエピソードが映画の中で再現されています。



〔黄師父〕

父(黄淳梁)はケンカが好きでした(笑)

映画は事実とは少し違います。父は葉問の最初の学生ではありません。実際と同じ部分は、父が葉問の教室に行き、
戦ったということです。


結局、葉問は父と戦いました。しかしあの映画と同様で、葉問は父と本気では闘いませんでした。葉問は全ての攻撃をブロックし、寸止めして父を打たなかった。父はその時の葉問は抜群だったと言っていました。父は感銘を受けてその場で学びたいと頼みました。

しかし父はいずれにしても葉問の下で学びたいと思っていました。なのになぜそこでケンカを吹っ掛けたのか、私には分かりません(笑)




〔アナウンス〕

黄師父は、父の急死ということだけを理由に詠春拳を教え始めました。彼は詠春を広めるという父の立場と望みを受け継ぎました。



〔黄師父〕

突然でした。

私はそれを功夫の問題としては考えていませんでした。家族の問題として考えていました。父は突然他界しました。入院して1週間も経たずに他界しました。私は長男でしたので、家族と学友たちは私に注目し、それで私が教えることになりました。


しかし最初は私たちみんな、元々クラスメイトです。だからそんなに(自分が教えようとは)考えなかった。ただ父が去っただけで、家族のようでした。


私は指導を始めました。

そして他のクラスメイトたちも指導を手伝ってくれます。私たちはまったく伝統的です。父がまだここにいた時から。先生も教えますが、兄弟子が弟弟子に教える機会の方がより多いのです。これは今も変わりません。多くの伝統的な武術がこのように行います。


私たちは発展もできますが、でも変わらないほうがいい。私はそう望んでます。先人から伝えられた伝統は、後の人たちに伝えることができます。


だから私は今、より簡単に理解できるように、もっとも簡単で単純な言葉を使うようにしています。彼らが練習の目的が理解できるように。彼らがより簡単に良し悪しを理解できるように、動きの説明をしています。 


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