これはだいぶ以前、私の先生が英文からざっと翻訳してくれたものを元に、正確を期すため動画と広東語原文もチェックして日本語として読みやすいよう後に完成させたものです。長い間寝かせていたのを発掘したので載せておきます。
徐尚田の指導遍歴(遺言的なやつ)
《 日本語訳 》
私は詠春拳を50年以上教授しています。
この50年は、大きく三期に分けられます。
最初期の頃は、自分の先生(葉問)が私に教えたのと同じやり方で生徒に教えていました。黐手は私の訓練の主要な部分で、私は黐手をたくさん練習しました。
私が練習した黐手のやり方は他の人とは少し違っていて、それは自分からは攻撃しないというものでした。それまで私は相手の攻撃を受けたり無力化することにだけ努めていて、練習生に教えるときもその原則を応用していました。決して自分から攻撃はせず、その代わりに練習生に攻撃をさせていました。
この期間の指導は、私自身が詠春拳を学んだ方法であったので、それで練習生たちは上達し成功するだろうと考えていました。
その頃、私は毎晩何度も生徒たちと黐手をし、彼らが疲れたときにだけ休憩していました。何年もこの方式で教授し、自分は防御に徹して生徒に攻撃させることにより、生徒の役に立とうと務めました。結果として彼らの黐手での技能はとても良くなり、攻撃は鋭く自発的になりました。
数年が経つと生徒は皆、型も黐手も上達しましたが、彼らにはまだ何かが欠けていることに気づいたのです(それは構造と力であった)。
そして私ななぜ私は毎回30人以上の生徒と2~3時間も疲れることなく黐手できたのか?を問い始めました。当時、彼らは皆私よりも若く活発だったので、それは矛盾していたのです。
私は自分のエネルギーは一体どこから生じているのかを問い始めました。そして私は自分の腕と足をリラックスさせていることに気づきます。そのために私は技の運用に際して無理をする必要がなかったのです。
その理由は、私が自分の練習生たちよりもはるかに多く練習していたからだと考えました。私の動きはより滑らかに、巧妙になりました。自分の技能は練習の蓄積によるもので、それが自分が生徒たちよりも上手である理由だと考えたのです。そのため、それ以降の20年あまり、その教授方式を続けました。
しかしその長い期間の後、私は再び何かが非常におかしいことに気づきました。
なぜ練習生たちは強い力を発生させられないのか、またなぜ彼らは私ができるようには技法を運用することができないのかを問い始めました。それで私は少しずつ教え方を変えはじめたのです。
彼らが筋肉をこわばらせたり、関節を硬くしているのに気づくたびに、常に背筋を真っ直ぐ正すように指摘しました。技法を正しく運用できた時には通常と異なる力が生み出せることを示しました。
私はまだ彼らと黐手をたくさん練習していましたが、それに加えて力の生成に重点を置くことにして、彼らが正確にできるようにアシストしました。
しばらくして、私のアシストがあれば生徒たちにも正しく力を生成できることに気づきました。しかし生徒は自分一人ではそれができないのです。しばらくは、この方法による指導を持続させました ― 彼らがいずれ自分自身で出来るようになることを期待して。
しかし2~3年しても、まだ目立った進歩を見いだすことはできませんでした。私は自問しました。「自分はどうやって力を出しているのだろうか?」
私自身は力の運用に全く苦労していません。私にやる必要があったことは、運用プロセスを意識することだけで、それで力は発生させられるのです。だから私は練習生たちにもっと小念頭を練習し、運用プロセスを意識するために心を用いるようにと、それでやがて力は正しく生み出せるのだから、と言い続けたのです。
この教授方法は長年続けました。私の補助で力が生み出せる時には、それがどのような感覚であるかに注意を向かせ、それによって彼らがいずれそれと同じものを掴めることを私は期待しました。
力を運用するためのアシストを行う度に、その精神状態、感覚の状態、身体構造がどうなっているのかに気づいてもらおうとしました。さらに10年この方法で指導しましたが、しかし補助なしでそれができる生徒を一人も見いだすことができませんでした。
私は自分の教え方と発力の過程を分析し始めました。やがて、自分が小念頭を練習している時には脳の違った部分を使っているという結論に達しました。この脳の部位は、日常生活での思考の過程とは別の脳の部位を使っているのです。
私には小念頭の意識プロセスでは、日常生活の思考プロセスを使う必要がありません。私にする必要のあるのは、意図するためにこの脳の特別の部位を利用することだけで、私の手と作用力はそれに従うだけです。
なので私はどうやってその精神状態を獲得したかを自問し、振り返って思い出してみました。
だんだんと、生徒らが自分自身によっては達成できなかったその力の運用のための、(アシストして気づかせることとは)別の方法があることが分かってきました。
この数年、私は黐手と他の型を教えることをよりいっそう減らし、小念頭を教えることと生徒が力が生成できるのを援助する指導に集中しました。
多くの練習生は私が起こした指導内容の変化を好まず、この方法はあまりに難しくて退屈だということがわかると、興味を失いました。
一旦生徒が力を発生させられるようになると、彼らは日常生活の思考プロセスを使っていないことを私は見出しました。彼らはこの別の特別な脳の部位を、私と同じように使っていました。
私は葉問先生の下で詠春拳を学んでいた時のことを思い出しました。私はなぜこの型は小念頭という名前なのかを先生によく尋ねていたのです。おそらく、この脳の特別な部位を「小念頭」と呼ぶのです。私はそれが真相なのだと信じています。
それから私は「念頭」を作動させるための脳の特別な部位を使う方法を生徒に教え始めました。
しかし一部の学生にとっては、「念頭」を起動させることは、ただ立って意識しようとしてばかりいることなので退屈です。だからここ3~4年は、もし誰一人としてここに残らず、教室を畳まなくてはならなくなったとしても、それはそれでもよいと覚悟を決めたのです。正しく小念頭を行える者を見つけるために、私は自分にできることをしました。
この期間、私は黐手を教えず、他のこともまったく教えませんでした。私は彼らにどのように立つかと、生徒が彼ら自身の念頭を発見し作動させる方法だけを教えました。
ところが、私がこの方法で指導するようになると、人をただ立たせるだけだという噂が広がりはじめ、私が何をするともなく多くの生徒が入門してくるようになりました。もしこの練習方法が練習生を引きつけているのなら、彼らはここで教えられている内容に本当は興味を持っているにちがいないと思いました。
私は元々自宅で少数の練習生を相手に教えており、次第に練習生が増えて満杯になり、教授のためにより広い場所を探す必要がありました。それが現在の場所で教えるようになった理由です。
その生徒たちが立つことをもっとするようになると、より多くがその彼らに起こることに興味をもつようになりました。
アメリカから帰国した古い生徒でさえ「ここはただ立っていたいだけの生徒がたくさんいる」と私に冗談を言うのです。彼はこの教授方式をアメリカで採用すれば、多くの事をあれこれとやらずとも生活していけるからこれを教えてほしい!と私に頼むのです。彼はユーモラスな生徒です。
これらすべての探求と分析の年月の後に、私はこのスタイルの始祖である五枚が、なぜ最初の型を”念頭”と名付けたのかをやっと理解したのです。この特殊な脳の部位である「念頭」が、実は力を生み出すのです。
もし誰かがこの念頭を作動することができると、力を発生させる能力の目立った進歩と、同時に健康面での改善が見られます。
この2~3年の困難な研究の後、運良く私は自ら念頭を発動できる数人の練習生を育てる事ができました。しかし私はまだそれに満足できていません。
なぜ私は彼らのこのレベルに引き上げるのに、数年もの時間を要したのでしょう。 念頭を成し遂げるにはこれが唯一の方法なのでしょうか。 より早くできる方法があるべきではないのか? 私は今なおそれを深く考え、答を探しています。
詠春の始祖である五枚はどのようにして小念頭を作り出したのでしょう。 当時、彼女には弟子を早く育てる教授法があったのでしょうか。 もしあるとすれば、なぜ同じ事が私にはできなかったのでしょう。 これを成し遂げるまでに、本当にこれほど長い時間が必要なものなのでしょうか。 私はその答えへの求めをまだ満たしていないのです。
私は念頭を使うことができるようなった先の生徒たちが、将来より早くできる手法を見つけてくれることを願っています。
私にはこれまで、より早い方法を求めてどれだけの時間を費やしたかわかりません(笑)
誰でも念頭を起動させることができる方法を伝え、誰でも健康であることができること、これが私の最後の、また最終的な希望です。
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