詠春拳について

【 古いが優れた道具 】

何百年も前の天才的な彫刻家が残した彫刻刀が一式あったとして、現代の初心者がそれを使って彫ろうとしたら非常に扱いにくいでしょう。道具の中には、今では何に使うものかよくわからないものもあります。

しかしその道具に見合う能力を自己の身に具えていくにつれ、だんだんとその道具の優秀さや機能性、それを使って何ができるのかがが分かってくる。


詠春拳はこういう”昔の天才が遺した道具”のようなものだと思います。


もちろん古い物ですから、現代の発達した道具の方がもっと優れているという部分もあるかもしれません。しかしだからといって鋼で作られた刃物をステンレスに置き換えてしまえばよい、電動工具にしてしまえばよい、ということにはなりません。


他のものには変え難い魅力と機能性がある拳法です。


【 詠春拳の概要 】

詠春拳は、単純、効率、直接という三つの原則に基づく拳法です。暴力に対して身を守るためには、最もシンプルで効率的かつ直接的な手段をもって反応する必要があると考えて作られた拳法です。


人間は訓練なしでは合理的な行動を取ることができません。詠春拳は徒手の護身という範疇において、反応を合理的なものに変えるためにあると言えます。



詠春拳の修得はよく言語学習に例えられます。個々の技術は”いろは”、またはアルファベットであり、理論と原則は文法に当たります。アルファベットと文法を学び、それらを用いて会話練習を行い、新たな言語を自在に話せるようにしていきます。詠春拳を戦闘言語と喩える人もいます。


黐手(チーサウ)は詠春拳固有の対人攻防練習の総称です。上記の例に当てはめれば、黐手は会話練習に当たります。黐手は詠春拳の原則と構造に基づいた反応と技術を身につけるためのもので、詠春拳以外の武術では学べません。

多くの伝統的な武術の練習では型の動きと実際の動きが乖離しがちなことがよく問題視されています。詠春拳は伝統武術でありながらこの問題を埋める練習フォーマットを持っています。それが黐手(チーサウ)であり、黐手の練習には多くの時間が割かれます。



【 It’s All About Skill 】

詠春拳に関する説明には「弱者でも強者に勝てる」「力がいらない」といった内容のものもありますが、これは単純さや効率といった詠春拳を特徴づける内容を都合よく曲解したものです。現実には弱者が強者に勝つのはそんなに容易いことではないのは誰もが知るところです。


実際の詠春拳は弱者にだけ都合良くできている非現実的なものではありません。詠春拳はむしろこのような安直な宣伝文句に引っかかってしまう人には向いていない論理的なものです。また詠春拳は抽象的な考え方や哲学ではなく、具体的な技術です。


先人たちは「詠春拳は時間がかかる」と明言しています。なぜなら詠春拳はスキルだからです。スキルとは、時間を使って訓練した者だけが獲得できるアドバンテージです。


このスキルの中には、体が弱い者、小さい者でも体を強く使い、力が出せるようになる身体操作も含まれます。知る人は少ない内容ですが、詠春拳も拳法ですので力の養成方法があり、それが伝わっています。けっして「非力なままで戦う拳法」ではありません。とりわけ「立っていることができなければ何もできない」と言われ、強く立てることが重視されています。


【 練習に対する考え方 】

老若男女、誰にでも扱えるようにできているスマホのような道具を「よくできた優れた道具」とするか、能力のある人にだけ扱える、よく研がれた職人道具のようなものを「よくできた優れた道具」とするか。


どちらも「優れた道具」ではありますが、詠春拳はどちらでしょうか。ここをどのように捉えるかによって、取り組み方やその結果は全く変わってきてしまいます。仮に前者のようなものを優れた道具とするなら、大した苦労もなくただいじくっていれば自然と使えるようになるでしょう。

しかし詠春拳が後者ようなものであったら、練習者はどんなふうに練習に取り組めばいいでしょうか。


ここが非常に大切なところであり、なかなか教えてもらえず、身につきにくいところでもあります。



信頼する先生から「これが正しい方法だ、効果的な身体操作だ」と教えられたからといって、その内容をただ鵜呑みにしただけでは、ただ自己洗脳したに過ぎません。この場合、学んだことはほとんど何の役にも立たないでしょう。




詠春拳には反応を合理的なものに変えるという側面があります。どんな問題に対してどのようなアクションを取るのが合理的であるかを知り、身につけるためには、トライ&エラーを通じ、体験として事の正否を確認しながら学んでいく必要があります。学習にはエラーがつきものであり、エラーのない学習からはデータ収集や成否判断基準の確立ができません。


多くの人は失敗をすることに対して心理的抵抗があり、失敗という事象に対してどう対処していいかわからない人も多いものです。誰でもできるだけ失敗を経験せずに、楽に自信と実力を得たいと考えます。しかし人間は失敗を経験せずに自己を変えていくことはできませんし、かつてはうまくいっていたことが将来はうまくいかなくなることもザラにあります。失敗や壁は避けるのではなく、うまく付き合っていくことを考えた方が得策です。


そもそも練習とは、できないことをできるように変えていく作業です。黐手の練習にハマる人が多いのは、できなかったことができるようになっていくからに他なりません。エラーの発見と観察は練習という行為における「主役」です。エラーがあるからそれを変えていくことができます。


黐手は物事への取り組み方、学習の仕方を教えてくれます。